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ミャンマークーデター前夜、現地銀行のCOOになった日本人がいた。泉賢一さんをゲストにお迎え

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鈴木 改めて、ご紹介しましょう。 『ミャンマー金融道 ゼロから「信用」をつくった日本人銀行員の3105日』の著者でいらっしゃいます、泉賢一さんです。よろしくお願い申し上げます。

残間 おはようございます。

泉 泉です、よろしくお願いします。

大垣 お呼びしたのは、アメリカに行っちゃうんだって。

残間 今度?

鈴木 いつですか。

泉 今月(2022年3月)末を予定しています。

大垣 かわいそうに、ミャンマーは見捨てられてしまったのかもしれない。

残間 違うよ。ミャンマーで成功したから、次なるところに。

大垣 泉さん的にはそうなんだけど。ミャンマーは可哀想なんだ。

残間 そうか、ミャンマーは。

泉 また戻ってこようと思っているんですけど。

大垣 でも、近々に何か動くって感じはしなくなっちゃいましたよね。

泉 そうですね。

大垣 泉さんはずっと虎視眈々と本を書こうというので、ミャンマーにいらっしゃる頃から書かれていましたよね。

残間 虎視眈々って、狙ってたみたいじゃない。

泉 4年前ぐらいに構想が出たんですけれども。もともとの結末はこうじゃなかったんです。途中で書くのをやめたんですね。書こうと思ったものをやめたんです。それからクーデターが起こって、これは書かなきゃなと思って。

残間 最初書こうと思ったのは。

泉 最初は、もっとハッピーエンドで。成功しましたという事例集にしたかったんですが、ちょっと違うふうになってしまって。

大垣 最初にお会いしたときは、これの一つの、前身で。『ルワンダ中央銀行総裁日記』っていう有名な新書があるんですけど。あれのミャンマー版みたいになるといいね、なんて言ってたんですよね。

泉 そうなんです。ところが、最後、失敗談で終わってしまったんですが。

残間 泉さんの失敗じゃないものね。でも、やっぱり書かなきゃと。

鈴木 初めてお聞きの方もいらっしゃるかもしれませんから、改めて泉賢一さんのプロフィールを、こちらからご紹介します。

1966年のお生まれ。神戸大学農学部を卒業後、現在の三井住友銀行に入行。2013年ミャンマーに赴任。2019年からは一般財団法人日本建築センター嘱託職員を経てミャンマー住宅開発インフラ銀行COOをお勤めになり、現在は住友林業勤務で、今年(2022年)、アメリカはテキサス・ダラスに赴任予定でいらっしゃいます。

残間 すごいね、ダラスというのは。

大垣 住宅メーカーって、わりとダラスに。

泉 日本のメーカーはないんですが。

大垣 そうだっけ。

泉 はい。ただ、アメリカのメーカーは、ダラスは、ものすごい勢いで住宅が建ってますので。マーケットとしては一番いいところだと思います。

鈴木 ご著書がありますけれども。2013年47歳のときですね。

残間 4月1日、エイプリルフールの日に、突然の辞令によりミャンマーへ。エイプリルフールっていうのは、今私が言っただけだからね。

鈴木 ああっ、そうなんですね。帯には書いていないんですね。

残間 銀行がほぼ機能していないミャンマーへの赴任を命じられ、中小企業への融資制度を作る使命を託された。

大垣 「ほぼ機能していない」っていうのは、柔らかい言葉ですね。

泉 全く機能していない(笑)。

鈴木 実際は、全く機能していなかったと。

大垣 ないに等しい。

残間 ここでは「ほぼ機能していない」と書いてあるけど、「全く機能していない」だと。

大垣 だって、最初に行ったときに一番印象的だったのは、風呂敷みたいなのに、ボロボロのお札をいっぱい入れて、預けに行くんですよね。

泉 どんごろすって言うんですか、あれにお札をいっぱい入れて、銀行の窓口にポンと置きに行くんですね。

鈴木 ええっ。

残間 その部署には前任者もいなければ同僚もおらず、現地の情報もほとんどない。

大垣 でも、その前に、信用保証の仕組みを作られて。これがやっぱり、泉さんの。

残間 みんな、さぞかし語学力が素晴らしいと。

泉 僕は全くなくて。

残間 ここに書いてある。英語力の不足を補うため、英作文ノートをそのまま読み上げて、財務副大臣の心をつかみ、ときには外国人が初めて来たというような街の工場を訪ねる。

大垣 なるほど。

泉 もともと、一国の財務副大臣なんかに会える立場じゃないんですが、一番最初の出張で、アポイントを入れようとしていたんですけれども、だめだったんですね。で、今回ダメでも次があるかなと思って、帰りの飛行機を待つ前の日に急にかかってきて、「明日会えるから延ばしてくれ」と急に言われて。

ですから、何の準備もなかったんです。仕方なくノートに言いたいことを書いて。4ページぐらいだと思うんですが、それを読ませて欲しいといって、それを丸読みしました。

残間 丸読みしたの。暗記じゃなくて。

泉 暗記じゃないですね。暗記したのは、最初に、「あなたの大切な時間を潰したくないから読ませてほしい」って、この2行だけは暗記しましたけど(笑)。笑ってましたけどね。

大垣 向こうの人も、それなりに苦労しているからね。文法が日本語と一緒だから、多分、同じ苦労なんじゃないかな。

残間 そもそも、大垣さんもミャンマーに行って。それでいい人が見つかったって言って泉さんだったじゃない。そもそも、信用っていうものを勝ち取るためじゃなくて、銀行っていうより、金融制度を作るって。

大垣 私の場合は分かりやすくて、国が住宅ローンの仕組みを導入するのを助けましょうっていう国のプロジェクトがあって、そこに向こう側の受け皿のところにちゃんとした人がいないから行ってくれっていうことで行ったっていう、それだけなんですけど。

残間 銀行がないとダメだよね。

大垣 それで、あるのはあるんですけど。泉さんの場合は、かなり。

泉 その前のところですね。

大垣 さらに、普通の銀行から行ってるから、本当は会社のためになることを。ためになったのかもしれないけど。派遣元からはほぼ独立して。普通、日本人って、「何々銀行の泉です」じゃないですか。泉さん、あの頃はもうすでに「泉です」だったから。

残間 三井住友銀行の仕事として行ったの?

大垣 三井住友銀行の仕事として大事なものではあるんだけど、どっちかっていうと、匿名の。

泉 そうですね。今風の言葉でいうと、SDGsとか、CSRとか、そういう部類に入ると思うんですが、とてもそういうような高貴な感じじゃなくて、野放し状態でしたね。やりたい放題で。なので、いろんなところにも行けましたし、あんまり、銀行の厳しいルールとか、そういうものにも縛られなくて。

残間 本社からいろいろ言われなかったの?

泉 全く言われなかったですね。

残間 でも、それなりに泉さんを選んだ理由があったのよね、銀行には銀行で。「あの人なら間違いなく」って。

泉 たまたまだと思います。

残間 4月1日に突然の辞令って・・・。普通、エイプリルフールだと思うよね。

大垣 辞令って4月1日だから、全員がそう思っている。

残間 そうなの?

泉 まあ、4月は人が動く時期で。

残間 まさかとは思ったの、自分でも。

泉 最初、意味が分からなかった。

大垣 最初はシンガポールじゃなかった?

泉 シンガポール付けで、ミャンマーに。

大垣 やっぱりミャンマーに行くところまで決まってたんだ。

泉 はい。

鈴木 ここで、音楽をお届けします。きょうは残間さんに。

残間 これは、ミャンマーでみんなが歌ってるって。本当?

泉 流行ってますね。ミャンマー語で。

残間 長渕剛さんの乾杯。意味違ってたり。私もYouTubeで見たけど、節が違う人もいたけど、でも、みんな歌ってましたね。

泉 基本的には同じなんですけど、言葉は丸切り入れ替えてます。

残間 日本の音楽って結構あるんですか。

泉 あります。

残間 どうやって伝わってきたんだろう。

泉 どうやってでしょうね。誰かが広めたんでしょうね。

残間 ということで、きょうは長渕剛さんの乾杯を聞いていただきたいと思います。

〜♪〜

鈴木 引き続き、泉賢一さんにお話をうかがっていきたいと思います。泉さん、よろしくお願いします。

残間 泉さんの本、最初、小説みたいだもんね。部長から突然言われたって。部長もよく分かってなかったみたいだもんね。

泉 そうですね。

大垣 これ、結局、当時の日本のODAの関係で、お勤め先の銀行さんが関与されてて、それで・・・っていう話になったんですかね。

泉 もともと、そんなに深いところはなくて。ミャンマーが急速に民主化に舵を切ったので、当時ミャンマーに外国銀行っていうのは、営業は一つもできていませんでしたので。何かいいことがあるかもしれないから、名前を売っておこうと。

残間 (笑)。

大垣 余裕だなあ。

泉 最初から、そういうふうに言われました。で、5年か10年か分からないけれども、東京オリンピックまでには帰ってこられると思うと、当時、副頭取から言われたんですが。東京オリンピックの前には、確かに戻ってはきました。確かにね。ただ、当時とは全く。途中で流れも変わりましたし、銀行のやろうとしていることっていうのもかなりズレてきたんですが、最終的にはお互いのために役に立ったかなっていうふうには考えています。

大垣 最後、日本の銀行、たくさん出ていっていましたけど。いま、どうなってるんでしょう。

泉 最初に、第一弾に免許が降りたときは13行、外国銀行があって。日本は、いわゆる3メガバンクは全部出ていて。当時、日本が三つで、シンガポールは二つ。日本が最大だったんです。

大垣 どうしてるんだろう。

泉 今もまだあります。

大垣 あんまり、やることないよね。

泉 ないです、商売にならないですね。

大垣 ふーん。

泉 お金も動かないし、制裁もありますしね。

残間 この本の「終わりに」が面白いよ。「人の運命というのは、全く予想のつかないことばかり起こりうる。高校時代はバイオテクノロジーという言葉が持て囃され、私は神戸大学農学部に進学した。」

大垣 それで農学部に行ったんだ。

泉 はい。

残間 農学部では、でも、害虫対策や、疫学を学んだと。

大垣 それ、結構役に立ったんじゃない。

一同 (笑)。

残間 将来はメーカーの研究職に就くつもりでいた。

大垣 へえ。

残間 すごいじゃない。疫学やってたりしたら、今、関係あるしね。

泉 そうですね。もう全部忘れましたけどね。

大垣 そうか。

残間 それで、銀行に行ったのね。面白いね。それで、こうやって本まで書いてね。

泉 そうですね。こういうことがなければ、ラジオに出演することもなかったし。

残間 それから、アメリカに行くっていうことは、やっぱり、その後、語学力がまた増大したと。

泉 いやいや、増大はしてないんですけれども。まあ、維持はしているということなんですが。

大垣 語学力っていうより、「俺が喋ってやってる」っていう、ちょっと、度胸みたいなのが。

残間 それは大垣さんが一番得意じゃない。

大垣 へつらい型で、すみませんできなくてってやってる間は絶対に喋れないです。普通に喋れるようになるんですよね。

残間 だけど、43歳で英語の学びをスタートして、TOEICの点数が400点前後から、2年で850点まで。

大垣 謙遜されてるけど、完璧に通じてる。

泉 いやいや。

大垣 帰国子女みたいな感じのかっこいい感じじゃないんですよ。私もそうだけど。でも確実に通じる英語ですよね。

泉 東南アジアは、彼らも英語は第二言語ですし、お互い、得意じゃないというのが分かるので。

大垣 外来語っていうように日本ではしちゃうけど、金融の言葉、特にミャンマーでは、ミャンマー語にならないから。結構英語ですよね。

泉 そうですね。訳せないものが多いです、ミャンマー語に。

残間 こうやって1冊にまとめあげると、その日々のことを思うと、いいでしょう。懐かしいし。

泉 懐かしいですね。もう10回ぐらい読みましたけど、毎回刺さるところが違うんですよね。

鈴木 自分自身でも。

泉 まだ書き立てホヤホヤですけど、10年ぐらい経ってもう1回ぐらい読んでみたらどうなるのかなと。

残間 すごく大事な本でもありますよね。ミャンマーがこういうふうになったのを、そういう立場でずっとご覧になっていたというのは。

大垣 やっぱり、僕はこういうのが大事だなと思うのは、やっぱり、私も政府のODAとかっていうのの絡みで行ったじゃないですか。いかに現地で本当に状況をわかって考えていないかっていうのがひしひし分かるっていうか。あんまり悪口言っちゃいけないけど、完全に机の上で考えたようなことで、ものすごいお金がきてるんですけど、現地に来ると、そんなの全然意味ないじゃないかっていう。

泉 そうですね。

大垣 だから、やっぱり、お金はすごく出してるんだと思うんです、日本って。

残間 私たち、現場は知らないけど、お金は出してるんだろうに、ほとんど、認めてももらえていないっていう現状ってときどきあるじゃない。ときには「金だけ出しやがって」みたいに言われたり。

大垣 俺、もうこれから先呼ばれることないだろうから、きょうは悪口言ってやろうと思うんだけど(笑)。

政府の関係の金融機関の方とかも、行ったことない方っているものね。

泉 そうですね。

残間 現地にね。

大垣 だから、日本に帰ってきて、こうしないといけないっていう話が、全然、真摯に受け止めるっていうか、「そういうことを言われても全体が回らなくなるから、ちゃんとやってくれないと困る」とか。なんか、そっち系の話に。

泉 そうですね。広い視野で捉えるとそうなんですが、ミャンマーの国自体もそうで。ミャンマーの役人も、田舎に行ったことがないんですね。ミャンマーの役人より私のほうがミャンマーの田舎には行ってます。

残間 なるほど。

泉 分からないんですね。どこの国でもそういうのはあると思いますね。

残間 そうか・・・。ダラスに寄せる想いは。

泉 全く違う仕事をするんですが、物事には原因が必ずある。なぜ、スーチーさんと国軍がもめたのかっていう原因も、ずっと突き詰めていけば何かあるんですけど。今回、新たにする仕事も、会社のいろんな規律が守られているかっていうのをチェックしに行くんですね。

なぜ守られていないのかとか、なぜその規律を作らないといけないのかっていう、原因を探っていくので、そういう意味では論理思考っていうのが役に立つのかなと。全く違いますけどね、やることは。

大垣 でも、アメリカの人は。行く外国としては一番いいんじゃない。

残間 住友林業として行くんでしょう。

泉 そうですね。

残間 そこで、住友林業として仕事をしないといけないんでしょう。

大垣 ある種偉い人だよね。

泉 あんまり偉い人じゃない・・・。アメリカに子会社があるんですけれども、その子会社の業務がちゃんと適正に、法律に則ってやっているかというのを、監視しに行く。

残間 すごいじゃない。

泉 監視って偉そうですけど(笑)。

鈴木 ご帰国の際には、ダラスでのご活躍もお聞かせください。

大垣 一回縁がついちゃったら、また行くことになるよね。

残間 海外に行ってほしいと思うんだろうね、こういう人に。

大垣 幸せですよね。僕はすごい羨ましい。案外、銀行員の人って、この歳って言ったら怒られるけど、案外、可能性が開けなくなりますよね。

残間 一人で行くの?

泉 家族は、妻が一人だけですけど。

残間 妻はいくの?

泉 はい。

残間 ミャンマーも行ってたの?

泉 ミャンマーは、私、単身で行ってました。

大垣 一番幸せな時代になるんじゃないですか。

泉 うーん。あとは、戦争が始まらなければですね。

鈴木 本当ですね。改めて、泉賢一さんのご著書。河出新書ミャンマー金融道 ゼロから「信用」をつくった
日本人銀行員の3105日』は、河出書房新社から、税込み935円で発売中です。ぜひお買い求めください。

残間 壁に突き当たっている人が読むと、元気になります。

鈴木 きょうのお客さま、泉賢一さんでした。ありがとうございました。