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「箱」を抜け出した暮らしの到来。建築家・隈研吾さんと、これからの住まいを語る

鈴木 それでは早速、隈研吾さんに電話をつないでみます。よろしくお願いします。

 

隈 はい。

 

一同 よろしくお願いします。

 

残間 こんにちは。

 

大垣 お久しぶりです。

 

隈 よろしくお願いします。

 

鈴木 大垣さん残間さんとはよく。

 

大垣 残間さんはめちゃくちゃ仲良いよね。

 

残間 大垣さんがニューヨークにいたとき。

 

大垣 僕がニューヨークにいた時お会いして。同じコロンビア大学で。

 

残間 私はニューヨークから帰ってきてから、講演会などで話を聞いて、面白い人がいるなと思って以来。

 

大垣 じゃあ、僕のほうが先にお会いしてるって事ですよね。

 

残間 そうですね。隈さんは当時の大垣さん見てどう思ったんですか。

 

隈 えっとね。少年っぽいのにめちゃめちゃ頭のいい人だなと。

 

残間 ああ、分かる。ぼうやみたいだもんね。天才坊やなんだけどね。世の中知らなそうなね。

 

隈 そうそう。

 

残間 そうかそうか。でも、以来、お互いにそれぞれの道をちゃんと歩んでね。隈さんは今年、オリンピック・パラリンピックがないっていうので、でも、こないだ、池江璃花子さんが素晴らしいセレモニーあったでしょう。

 

隈 うん。

 

残間 あの時に国立競技場見たら本当に美しかったのよね。で、もうあれでいいんじゃないかと思って、私はいいなと思って見てたんですけど。

 

隈 僕も本当に、あれで報われた気がした。

 

残間 素晴らしかったよね、あのセレモニーはね。客席も、隈さんのアイデアで、人が入ってなくても入ってるような感じに見えるので、ライティングも綺麗だったけどとっても素敵だったしね。

 

隈 うん。能の舞台みたいに見えた。

 

大垣 ああ、そうですね。確かに。

 

残間 荘厳な感じもしたしね。

 

鈴木 日本的っていうところでも素晴らしいですよね。

 

残間 昔、でも隈さん、大昔、競技場じゃなくて国会議事堂作りたいって私に言ったことあったよね。

 

隈 いやいや、作りたいっていうか。

 

残間 ああいうの 作りたいとしたら聞いたら、議事堂は壊れないし裁判所は作ったばっかりだしって言って。まさか競技場がとは思ってもいない感じだったよね。

 

隈 競技場はあんまり頭になかった、正直。

 

残間 でも、建築家ってやっぱりそういうものを作りたいと思うものなんだね。

 

隈 やっぱり、それは、丹下健三先生とか、わりと近くにいた先生が、歴史の節目に大事なことを残してるっていうので。なんかそういうのが残せたらいいなと思って。

 

残間 アーティスティックに自分を、自我をね。

 

大垣 そういうイメージはないですよね。

 

残間 丹下先生だって、隈さんの草月なんかも、使いやすいとはけして言えないホールで、私も何度も使いましたけど、使いにくいとか言おうもんなら、「建築にみんな人間の体を合わせてください」みたいな感じだったもんね。

 

隈 でも、丹下先生自身の人柄は、本当に謙虚で腰の低い人だったんだけど、でも、周りがそういうふうに扱い始めちゃったんだよね、あるときから。

 

残間 私、一緒に仕事したことあるんだけど、やっぱり、地元の工務店の人達をすごく大事にするのね。でもわざとらしく東京から行った東大の人がっていうと嫌な感じじゃない。地元の田舎の人に聞くと、どんな偉い先生が来るかと思ったけどいい人だったわとかっていつも言ってた。でも隈さんに言わせると、隈さんの書いた図面を必ずしも読みきれなくて、なんか違うふうに作ってあるんだって。設計図と。でも、そういうときも怒らないもん、隈さんって。ほとんどの建築家って、そこでぶち投げて出てっちゃうよね。

 

隈 そこで怒っても、その時点で直せることってそんなにないから、その時点でなんとか最小限の直しで騙し騙し、完成させようと思うので。

 

鈴木 調和の精神なんですね。

 

残間 すごく物を考えてるから、本もいっぱい出してるし、絶えずいろんなことをコンセプチュアルに考えてるんだけど、生意気じゃないっていうのと、見た感じがね、みすぼらしい感じあるじゃない。

 

隈 (笑)。

 

鈴木 ご本人に向かって、残間さん。

 

残間 そこがみんなに愛される秘訣なのよ。

 

隈 わざとやってるんですよ。

 

鈴木 本当に?

 

残間 あれで金ピカの服とか着ていたらすごくいやらしいじゃない。

 

大垣 ああ。

 

残間 私はやっぱり、人柄がみんなに愛されてきて、悪口を言う人がいないっていうのは、そこはすごいなと思うのは、いつも地域の人とすぐ親しくなるもんね。

 

隈 やっぱり地域の人は、昔から憧れてたの。うちの親父が東京のサラリーマンで、東京のサラリーマンの生活の悲惨さとか、変なプライドが嫌だったから、地域の素朴な人ほど本当にかっこいいと思って憧れてたから。

 

残間 最近、隈さんは、コロナの時代になって、いろんな人にこれからアフターコロナの時代はどういう住まいかたになりますかとか、家はどんなふうに考えてたらいいでしょうとか、質問を受けると思うんですけども、聞いてる方もそのへんを待望してると思うので、どんな風に変わりますかね。

 

隈 一言でいうと、箱を出なきゃいけないと思っていて。箱の一番代表的なやつはオフィスビルで、同じ時間に電車で通って、同じ時間に働き始めて、箱を出てって、箱に全て、空間的にも時間的にも拘束されている生活から抜け出さないと思っているんです。

 

残間 なるほど。確かに、箱物って言ったもんね、いろんなものをね、建築をね。

 

隈 そう。箱にみんな押し込められてると、ストレスになってたんだけど、そのストレスが、やっとこういう機会になって、みんな言えるようになったんじゃないかな。

 

鈴木 音楽を挟んで、引き続き隈研吾さんにお話を伺います。隈さん、このあともよろしくお願いします。

 

隈 はい、よろしくお願いします。

 

  • 大人ライフアカデミー2020

鈴木 引き続き、建築家の隈研吾さんに電話で伺います。

 

大垣 隈さん、私、ちょうど初めてお会いした時って、1985年ぐらいですよね、きっと。

 

隈 そうですね。

 

大垣 あのとき僕は住宅は住宅でも住宅ローンの証券化っていうのがちょうど出てきた時で、世界に。

 

隈 なるほど。

 

大垣 で、あのときはそれを割と勉強してたんですね。それから何だか知らないけど結局今も住宅っていうのから離れられなくなってんですけど、あの当時、帰った後に隈さんが本いただいたんです、住宅論っていう。

 

隈 そうそう、ちょうど帰ってすぐに書いたんですよ。

 

大垣 そうですよね。これをずっと拝見してもやっぱそうだなと思うんですけど、実は、私は法律でしょう。憲法22条っていうのは、実は住居選択の自由と職業選択の自由ってが一体になってるんですよ。

 

隈 なるほど。

 

大垣 ワンセットなんです。これって要するに、無意識なんですけど法律家も、この二つ切れてないんですね。

 

隈 なるほど。

 

大垣 仕事があるとこにしか進まないよね、だから封建時代から仕事を自由に選べるようになったら仕事があるとこで家も移って良くなったんだっていう風に習うんです、僕らは。

 

残間 なるほど。

 

大垣 それはすごい象徴的だと思っていて。この間上野千鶴子さんと話した時に、職・住一致っていうことをおっしゃって、それは私は分断っていう言い方をしているんですけど、同じ意味なんですけれども、これまで仕事があるとこで家を作るっていうことが、今やたらとテレワークだっていうことで、仕事場がないとこに進めるようになんか人類史上初めてなったような気がするんです。

 

隈 うん。確かに、人類史上って、画期的なことかもしれないですね。

 

大垣 だと思うんです。これ、多分、人類史上って本当に言っていいぐらいすごいことが起きてるような気がしていて。こないだも群馬の方と話をしたら、東京の方が家を買いに来てるっておっしゃってるんですね。そんなこと、絶対にありえなかったわけですよね、この1月ぐらいまでは。そうすると、これまではやはり働くっていうことと家のあり方っていうのが不可避的にくっついてきたものが、仕事ってのを無視して人が家を考えるようになると、家ってこの住宅ローンで言うと11番目のカテゴリが出てくるんじゃないかなと思ったりして。

 

隈 うん、確かに。うちの事務所でも、欧米人が特に、彼らは死亡率が高いから、コロナで、怖がって、パーっと避難しちゃって、田舎の埼玉県の家借りてね、引っ越しちゃったのがいるんですよね。

 

残間 隈さんのオフィスは今半分ぐらい外国の人ですね。

 

隈 今ね、世界で300人ぐらいいるんだけど、そのうち半分以上が外国人で。日本人は妙に死亡率が低いからまだダラダラしてるんだけど、外国人は明日の自分に関わるっていう感じでね、ポンと東京出て行っちゃうんだ。

 

大垣 日本は悲しいですけど、テレワークにすると経費が下がるんで、会社が儲からないもんだから無理矢理テレワークっていうので結局テレワーク化させていかれると思うんですね。

 

隈 ああ。

 

大垣 そうすると逆に、地方の子が東京の会社に、地方に住んだままで就職することが出てきますよね。そうなったらね僕なんか自分の家選び考えてると、働くことばっか考えて家を考えてた気がするのが、住むとか、そこで生きるっていうことで家を選ぶと違う家を作るようになるんじゃないかなと思って。

 

隈 家の作り方も絶対に変わると思いますね。今の家の作り方とか間取りとかは、そんなに歴史が古いわけじゃなくて、20世期にアメリカの郊外住宅ができて、そこでの間取りだから、本当に1世紀ぐらいの歴史しかないんですよね。

 

大垣 結局、この住宅ローンでいうと、住宅展示場派と建売住宅派っていうのが席巻しちゃってる感じじゃないですか。

 

隈 そうです。

 

大垣 この二つって、そんなこというとスポンサーしていただいている会社さんには悪いですけど、ちょっとここからコンセプトチェンジが要求されますよね、きっと。

 

隈 そう。だからね、逆に、そこでこれが新しいタイプだって言えば、スポンサーの会社も含めてパッと新しいものを出す力が日本の企業にあるような気がするんです。

 

鈴木 ああ。

 

大垣 そう思うです。すごく合理的に、企業戦士のために作ってきたり、いい学校に通うための基地みたいだったものが、家族で暮らすって口では言ってますけど意外と考えてなかったことを真剣に考えるとどんな家になるんだろう。

 

残間 あと、人口動態上ね。今は我々世代がまだ多いじゃない。だけど、だんだん死んでいくじゃない。若い人たちが今度増えるじゃない。死んでくまでの何年間かは私たちも街中にいようって、最初、この10年トレンドだったけど、さすがに最近はそう思わないもんね。隈さんに海の見えるとこに介護ホーム作ってよーとかいつも言ってるんだけど。ちょっと、田舎やだっていう感じなくなっちゃいましたよね。

 

大垣 あと、ここ2ヶ月ぐらいでもう一個面白いなと思ったのは、これまでの家の間取りって私らが使ってる本当の住宅って3 LDK とかっていって、人ごとに場所を当てはめていくみたいなものなんですけど、今はテレワークスペースとか、団欒スペースとか、機能別に作る人が出てきたりもしてますよね。

 

残間 子供部屋とか。

 

大垣 そういうのなかったですか。

 

残間 台所は奥さんとか?

 

大垣 要するに、一人に一個はあてがえないし、テレワークスペースを作らないといけないので、見てると、発想が、機能別に間取りが決まっていくっていう。

 

隈 そうですね。3LDKとかいうのもものすごく新しい住宅で、アメリカ発で、日本なんか元々あんな発想全くなくて。日本の農家なんか、今大垣さんが言ったみたいに働くスペースと、寝るスペース、みんなでまとめて寝るみたいな、大きく言うとその二つの区分でなってたからね、すごく未来の住宅として日本の伝統的な住宅はいいと思うんですね。

 

残間 座敷田の字型だしね。

 

隈 そうそう。

 

残間 ふすまをとればワンルーム。隈さん、建築って一朝一夕には建ったりしないので割りに長いプロジェクトになってると思いますけど、このコロナの時期に隈さんに注文してくるっていうか、こういうのやってほしいって言ってくる、日本に限らず世界中の、何か変わったことありますか。作って建築を頼んでくる人達の意識。

 

隈 それは、やっぱり、地方の人がある意味自信を持って考え始めてる。俺たちのしてきたっていう、思ってる地方の人たちがずいぶん連絡してきてね、一緒に考えたいって言ってきて。やっぱり、この自信はすごい大事だと思います。

 

残間 それは、日本において?

 

隈 日本において。

 

残間 海外はあんまり変わらない? 

 

隈 海外は、逆に中国のほうでは、何がなんでも経済を脅すなって言う感じなので、逆に中国ではこの数ヶ月、めちゃくちゃプロジェクトが増えた。

 

大垣 なるほど。

 

隈 びっくりするぐらい増えた、中国。

 

残間 やっぱり、建築を通して世の中を見るとか、心を読み取ることってできますよね、確かに。

 

大垣 そうですね。

 

残間 これからどうしたいですか? 人もいっぱい、建築家のアトリエ事務所っていう風な言い方をするとたぶん日本一の大きさと質を誇ってるんだと思うんですね、隈さんのとこって。プロジェクトも世界に100の単位あるって聞いてると、これから自分としてはどんな風な方向に行きたいですか。

 

隈 事務所の形も分散型にしたいと思っていて。今の騒ぎで、例えば富山とか石垣の、一人で現場に行ったやつが帰って来れなくなっちゃって、それは、石垣隈事務所とか、富山も山奥に行ったんですけど、一人事務所みたいなのをそこでやらせちゃって、別に石垣の仕事だけじゃなくて、他の仕事、そこでフランスの仕事やってもいいわけだし、そういう形の事務所形態にだんだん変えてこうと思って。

 

残間 それもいいね。

 

大垣 面白い時期ですよね。生きるって言うことが初めて変わっていくような。

 

隈 そうですよね。

 

残間 こういうような、疫病のような、誰も見えないようなものが来ないと人間ってなかなか変わらないとも言えますよね。

 

隈 うん。

 

大垣 企業封建主義の瓦解みたいな感じ。

 

隈 そうですね。だから、企業封建主義とは、アメリカの都市文化みたいな、20世期の、妙に日本人を縛っていたので、それは絶対瓦解しますよ。

 

大垣 だから、多分、おっしゃってるように、東京に来るって言う動きが、時間はかかるかもしれないけど戻っていくような感じがね。して。

 

残間 だって、今東京の人が来ないでって言われてる時代だからね。

 

大垣 とにかく大きいのはテレワークですよね。東京の給料を地方でもらえるって事が起こるので、それが非常に重要なのね。

 

残間 隈さんの仕事も、テレワークがなかったらなかなか成立しない仕事ですもんね。

 

隈 それで、現場、いろいろ世界中散らばってる現場と、普通にテレワークでコミュニケーションできて、どんどん工事が進んでいくことが分かった。

 

大垣 これもあっという間に良くなりましたもんね、環境が。

 

隈 そうですよ。

 

残間 前はほとんど、一流のオペラ歌手と一緒で、隈さん、空の上にいるのが一番長かったもんね。

 

隈 うん。

 

大垣 いなくていいんだもんね。

 

鈴木 実は日本でいろいろできるってことが分かりましたね。まだまだお話をうかがいたいんですけれども、お時間になってしまいました。今日伺った隈さんのお話、集英社新書、隈さんと清野由美さんの共著『変われ東京 自由でゆるくて閉じない都市』、こちらにも詳しく出ていますので是非ご覧になってみてください。建築家の隈研吾さんに伺いました。隈さんありがとうございました。

 

一同 どうもありがとうございました 。