大学教授になりたいけれど・・・現実は世知辛い!(リスナーメールのご紹介)
鈴木 聞いて得する、家とお金のお話です。大垣さん、きょうは。
大垣 なんか、一行質問で、東京都足立区、天然衛星さん。女性の方。
「大学教授になる方法を教えてください」
残間 (笑)。
大垣 へえって。
残間 一時みんな退職した人たちが教授になりたくて。大学、教授は無理でも、色々、特任教授とか、招聘教授とか、いろんな教授がついたじゃない。
大垣 特にね、20年前ぐらいが一番そうだったんじゃない。ちょっと、安売りしてた頃がありましたよね。
残間 大学側が、いろんな、実学ができる人欲しいって言ってたんだけど、最近は大学は、あんまりにも志望者が多いので、お役所にいた人が天下りできなくなった途端に大学に行こうとしたりしたじゃない。
大垣 今は、率直なところ、教授になるのは結構難しいかも。
鈴木 ああ。
大垣 私のときは、私はほら、20年前になったんですね。それも、何もなしから急に教授になったから。
残間 助教授も何もなし?
大垣 何もなし。それはめっちゃ珍しくて、多分。
鈴木 そうですよね。
残間 誰に来るの、学校が。大垣さんのところに。
大垣 私の場合はそれが面白くて。ロースクールっていうのができた年があって。
鈴木 ああ。
大垣 そうすると、急に、法学部の上に同じぐらい大きなものを作らないといけないので、先生の絶対数が、法律の先生が足りなくなって。もちろん弁護士の方がなられるところはあったんですけど、それだけでは、やっぱり、弁護士のほうがいいお仕事だったりする方もあるので、なかなかなかったりとかで。特に私が一応できると思われている民法とか、そういうところの先生がたくさんいるので、足りなくなって。
ある日、コロンビア大学っていうところに留学してたときにいらっしゃった、えらい民法の先生が、国立の大学でいらっしゃって、そのかたが、突如「渋谷で会いません?」とかって電話がかかってきて。先生、なんですかって。また研究の手伝いでもさせられるのかなと思って。
私はそのとき、1冊目の、ストラクチャードファイナンスっていう本を書いたのが、わりと、新しい話だったので、色々と引用されたりとか、ちょっと実績があったりもしたみたいなんですね。それで、よく存じ上げてる先生が、渋谷の喫茶店で急に身を乗り出してこられて「大垣さん、人生変えてみる気ない?」とかって言われて。
鈴木 おおお。
大垣 先生何を言い出すんですかとかって言ったら。
残間 それは、生命保険の会社にいたとき?
大垣 そうかな。それで、なんですかとかって言ったら、教授が足りないから、あなただと業績がなんとなく形がつくから、もう、そんな言い方しちゃいけないけど、いいんだよ、なんでも、みたいな感じになって。ええって。それは国立の大学だったんですね。そんなのありえないでしょうって思ったんです。でも、給料めちゃくちゃ安そうだったから断ったんですね。
残間 断ったの。それで私立に行ったの。
大垣 それで、めちゃくちゃ強気になったわけ。
残間 ああ、来るんだと。
大垣 俺って国立から呼ばれるんだ、とか思って。で、突如、最初に入った私立の大学の先生で、まさに三木先生に、「なってやってもいいよ」っていう感じで、めっちゃくちゃ高飛車にいって。本当に、入った後にどんなに難しいことかっていうのは後で分かったんですけど、その当時は自信満々で。
きっと、そういうときってうまくいくんですよね。本当の身の程を分かってないときって、強気になれる。
残間 強気になれるからね。
大垣 そしたらまた三木先生が、「いいの?」とかみたいになって、それでなっちゃった。
残間 ふーむ。今の人は結構苦労してますよね。
大垣 そうですね。
残間 私のところに、大学の教授とは言わないけれど、教えることできないかっていっぱい言ってきて。いろんなところに頼むと、講師だったら、とか。
大垣 大変難しいです。
残間 それから、なんだっけ。なんとか教授っていうのは、自分で全部、給料をもらえないで。
大垣 いわゆる、何もついていない真っ白教授じゃなくて、特任とか、特別契約とか、客員とか、招聘とかね。
残間 客員っていうのは、自分で講座作って、自分で賄って、それでお金は入らないっていうのが多いよね。
大垣 寄附講座なんかのときは、一時的にそういう、チェアードクロスのやつ。
残間 青学はそうだったよ。
大垣 青学はそうっていうか、そういうのをやるときは大体そういうやつ。
残間 だんだん、なんとか教授っていう、二文字がね。
大垣 特任はそういう感じで。元々は、退職なさった方が、あとは70までやっていただきたいとかっていうための制度だったんで。
残間 今はどうなんですか。なかなか真鍋淑郎先生みたいに、90歳ぐらいまでは日本は無理ですか。
大垣 あれは全然日本とは違う制度で、一旦テニュアって言って、プロフェッサーのポジションがある。プロフェッサーっていうのが、弁護士みたいな、資格なんですよね。
鈴木 うーん。
大垣 ドイツなんか、博士よりプロフェッサーのほうがえらいので、そういう、どういうのかな。職業で、そこに在籍している間だけそう呼ぶっていうのじゃなくて、終身で、肩書きみたいなものなので、またちょっと違うんですよね、感じが。日本は、課長とか部長とか、そういうやつと似てるので。法学部なんかは、博士になるほうが難しいです。
残間 この天然衛星さんって、どういう意図で質問をお寄せになったのか、興味あるな。
大垣 あとは、なった後が大変で。僕らは、だいたい実業で来られた方は、賞味期限が2年って呼んでるんですけど。
残間 ふーん。
大垣 最初は、やってることを喋ってると2年持つんですね。でも、そのあとが、結構頑張らないと。
残間 あと、同じ話ばっかりする先生とか。
大垣 自慢話とかね。
残間 自分の教科書を売りたいだめだけにしている先生とか。
鈴木 いらっしゃいますよね。
大垣 それは別に、自分の喋ってることを教科書になさってるので。
残間 それが10年ぐらい変わらないから。
大垣 それは、領域によっては問題かもしれないですよね。
残間 今は難しいんですね。教授になるのは、前よりね。
大垣 前よりは難しくなっちゃったような気がします。大垣先生みたいななり方は不可能だと思います、全然。
残間 強気でいった時代の人は。
大垣 私はめちゃくちゃラッキーだったと今でも思ってます。
鈴木 すごいエピソードが聞けましたね。
残間 きょう初めて聞いた話がありましたね。
鈴木 おとなライフ・アカデミー2021でした。